「私って、何のためにここにいるんだろう?」
誰もが一度は、そんな疑問を抱いたことがあるのではないでしょうか。
そんな時、自分という存在の土台を確かなものにしてくれる、力強い言葉があります。
それが「我思う故に我在り(われおもうゆえにわれあり)」です。
この記事では、「我思う故に我在り」の詳しい意味やを分かりやすく解説していきます。
また、この名言を深掘りしていくことで、いろいろな視点から見ていきましょう。
そして、「我思う故に我在り」が教えてくれる、こころを整え、自分らしい人生を歩むためのヒントもお伝えします。

われおもう、ゆえに、われあり?どゆこと?
エリカにはまたちょっと早いかな~。


またエリカのこと悪く言って!早くないもん!
そうそう。早いことなんてないですよ。一緒に勉強しましょうね。

「我思う故に我在り」の意味と背景:自分という存在を見つめる哲学

「我思う故に我在り」は、すべての物事を疑っても、疑っている自分自身の存在だけは確かである、という思考と存在の繋がりを教えています。

てつがくってなに?
哲学っていうのは、この世の全部を理解してやろうって学問だよ。

「我思う故に我在り」の主な意味
「我思う故に我在り(われおもうゆえにわれあり)」とは、「私は、あれこれと考える。何かを疑ったり、考えたりしている私という存在は、確実にここに存在する」という意味を持つ哲学的な名言です。
例えば、目の前にある机や椅子、家族、友達、そして世界そのものも、もしかしたら夢や幻かもしれない、と私たちは疑うことができます。
しかし、「本当にこの世界は存在しているのかな?」と疑っている自分自身の意識や思考だけは、決して疑うことができません。
なぜなら、その疑っている「私」がいなければ、そもそも疑うことすらできないからです。
この言葉は、私たちの「思考すること」が、「私」という存在がここにいることの、唯一の揺るぎない証拠であると教えてくれるのです。

そんざいしているってどういうこと?むつかしい……。
むつかしいってエリカが思ったってことは、エリカは存在してるってことだよ。


エリカはそんざいしてるじゃん。
「我思う故に我在り」の由来と成り立ち:デカルトの哲学
この「我思う故に我在り」という言葉は、17世紀のフランスの哲学者、ルネ・デカルトが提唱した有名な名言です。
デカルトは、「世界に絶対に確実な真理(しんり)はあるのだろうか?」と考え、すべてを疑うという方法(これを「方法論的懐疑(かいぎ)」と言います)で、真実を探求しました。
自分の感覚、過去の記憶、数学の法則…あらゆるものを徹底的に疑い続けた結果、最後にたどり着いたのがこの言葉だったのです。
どんなに疑っても、「疑っている私」だけは、確かに存在している。
デカルトは、この言葉を哲学の出発点とし、そこから確実な知識を積み重ねていこうとしました。
「我思う故に我在り」は西洋哲学の歴史を大きく変えた、非常に重要なものなのです。

Umm……すべてをうたがう。アイちゃんみたい。
うふふ。私もそれ、思いました。

ひどい言われよう。

「我思う故に我在り」が持つ日常での意味合い
「我思う故に我在り」は、現代の私たちの生活シーンでも役立つと思います。
例えば、SNSやメディアからたくさんの情報が流れてくる中で、私たちは他人の意見や価値観に流されがちです。
しかし、他人がどう思うかではなく、まず「私がどう考えるか」を大切にすることを教えてくれます。
また、失敗して自信をなくしたり、周りと比べて落ち込んだりする時でも、「私は確かに存在し、今、こうして考えている」という事実を再認識することで、揺らぎがちな自己肯定感(じここうていかん)の土台を築くことができます。
私という存在は、思考している限り、決して否定されることはありません。
揺るぎない安心感を与えてくれる言葉だと思いませんか?
情報が多すぎる現代だから、自分を見失いがちなんですね。

「我思う故に我在り」と似た「自己を見つめる言葉」
「我思う故に我在り」に似た意味を持つ言葉をいくつか紹介します。
「我思う故に我在り」と似た言葉
- 己を知る(おのれをしる)
古代ギリシャの哲学者、ソクラテスの言葉として有名です。
自分の能力や限界、本質を客観的に理解することの重要性を説いています。 - 汝自身を知れ(なんじじしんをしれ)
古代ギリシャのデルフォイの神殿に刻まれていたと言われる言葉です。
こちらも、深い自己認識を促す言葉です。 - 自分を信じる
より現代的でシンプルな表現ですね。
自分の可能性や選択を信用しましょうという意味ですね。
「我思う故に我在り」は、「思考」という行為そのものが、自分の「存在」を証明するという自己を見つめる行為を表しています。

Umm……すべてをうたがう。アイちゃんみたい。
うふふ。私もそれ、思いました。

「我思う故に我在り」の使い方と例文
「我思う故に我在り」は、自分自身を見つめ直したり、心の中心を取り戻したりするときに、心の中で唱えてみるのはいかがでしょう?
「我思う故に我在り」の使い方
- 「周りの意見に流されそうになるけど、我思う故に我在り。まずは自分の考えを大切にしよう。」
- 「仕事で失敗しちゃった。でも、今こうして反省している自分がいる。我思う故に我在りだ。」
- 「みんなの言う幸せが、私の幸せとは限らない。我思う故に我在り。私の幸せは私で考えよう。」

エリカおもう、ゆえに、エリカあり!
あはは。可愛いね、それ。

アイちゃんの今から役立つポイント
「我思う故に我在り」は、思考している限り「私」という存在は確実であると教えてくれています。
考えることを辞めない限り、あなたは存在し続けます。
「我思う故に我在り」と異文化の視点:存在を問う世界の言葉

「我思う故に我在り」は、西洋哲学の合理主義や個人主義の根幹にある考え方を表しています。
「我思う故に我在り」の英語の表現
「我思う故に我在り」は、デカルトがもともとラテン語で"Cogito, ergo sum."と記したものを、日本語に訳したものです。
英語では、"I think, therefore I am."と直訳され、西洋でも非常に有名な哲学的な言葉として知られています。
最初はラテン語だったんですね。

「我思う故に我在り」と英語表現のニュアンスの違い
日本語訳と英語訳は、どちらもデカルトの思想を伝えていますが、それぞれの文化における「自己」や「存在」への捉え方の違いも少し見えてきます。
西洋哲学は、「個の理性」を非常に重視します。
デカルトの「我思う故に我在り」も、「私」という個人の思考と存在の繋がりを、論理的に証明しようとするものです。
一方、日本の伝統的な考え方や東洋思想では、「私」は他者や自然との「関係性」の中で存在していると考えることもあります。
「我思う故に我在り」は、そのような文化的な違いを超えて、「自分自身」というものを見つめ直す、人間として究極の問いを私たちに与えてくれていると感じます。
日本では家族や会社があるから私がいる。
組織の中にこそ「己の存在理由」を見い出そうとしているのかもしれませんね。

「我思う故に我在り」が持つ文化的な背景
デカルトの時代、西洋では「科学の力で、絶対に正しい答えを見つけよう!」という考えが主流でした。
学校や教会で教わることだけでなく、自分の頭で考えて、論理的に正しいと証明できるものを信じるという動きです。
デカルトの「我思う故に我在り」は、まさにその時代の考え方を代表する言葉でした。
「自分の頭で考えること」こそが、誰にも否定できない、唯一確実なものだと宣言したのです。
「我思う故に我在り」は、「個人の考えや意見」をとても大切にする、西洋の文化や社会の土台になりました。
私たちが「自分らしく生きる」「自分の意見を持つ」ことを大事にするのも、デカルトのような哲学者の考え方が、遠い昔から受け継がれているからかもしれませんね。

アメリカは自分の考えをだいじにするよ!
そうだよね。アイちゃんもそれはとても大事なことだと思うよ。

エリカのにほんごノート
「我思う故に我在り」は、考えることが自分の存在を証明するという哲学の土台です。
個人の理性と自己を重んじる西洋文化の根幹にある考え方でもあります。
「我思う故に我在り」でこころを整える:自分らしく生きるヒント

「我思う故に我在り」の考え方を日常に取り入れることで、私たちのこころは整い、自分らしい人生を歩むことができるでしょう。
自分の「思考」を大切にする
私たちは、無意識のうちに他者の意見やメディアの情報に流されてしまいがちです。
しかし、「我思う故に我在り」の教えは、自分の頭で考え、感じることの重要性を教えてくれます。
どんなに小さなことでも、「私はこう思う」「私はこう感じる」という自分の思考に意識を向けることで、あなただけの個性や価値観が育まれていきます。
自分の思考だけが、「あなたらしさ」を作るのですから。
良いですか。周囲に振り回されてはだめですよ。


Yes!! アイちゃんにだけは、ゼッタイふりまわされないようにする!
「私」という存在の確かさを感じる
失敗したり、誰かと比べて「自分はダメだ」と感じたりする時でも、「我思う故に我在り」という言葉を思い出してみましょう。
たとえ、あなたの行動がうまくいかなかったとしても、「今、私は落ち込んでいる」「今、私はどうすればいいか考えている」という、あなたの思考は確かに存在しています。
この事実は、あなたの存在が誰にも否定できない、確かなものであることを示しています。
完璧でなくても、悩んでいても、あなたは確かにここにいるのです。
失敗して落ち込んでも、考えることをやめてはダメですよ。


シッパイはセイコウのMother!
困難な時こそ「自分」に立ち返る
人生には、どうすればいいか分からなくなるような困難な時が訪れるかもしれません。
そんな時こそ、この言葉を思い出して、「今、私はどう感じ、何を考えているのか?」と自分に問いかけてみましょう。
周囲の意見や状況に惑わされず、一度自分の心に立ち返ることで、本当に大切なことや、次に取るべき行動が見えてくるはずです。
あなたが道に迷った時、進むべき道はあなただけが知っています。
壁にぶつかると周囲に助言を求めがちです。それは間違いではありません。
しかし、最終的な答えはエリカちゃんの中にあります。


わかった!
千鶴のこころを整えるヒント
「我思う故に我在り」は、自分の思考を大切にし、存在の確かさを感じることができます。
苦しいときこそ自分に立ち返ることで、揺るぎない自己肯定感を育み、自分らしい人生を歩むための土台を築いてくれますよ。
まとめ:「我思う故に我在り」で、自分らしい人生を歩もう


われおもう、ゆえに、われあり!わかった!
へぇ。じゃあさ、考えてないときってエリカは存在してないの?


What!かんがえてないとき? Umm……。そんざいしていない、かも……。
エリカちゃん!アイちゃんの口車に乗って、考えるのを辞めちゃダメですよ!

考えるのを辞めるとエリカが消えちゃう!あっ、エリカの身体がだんだん透けてきた!


そんなことないもん!考えてなくても、エリカあり!
今回はデカルトの名言「我思う故に我在り」についてご紹介しました。
私たちは、つい他者との比較や外からの評価で自分の価値を測ってしまいがちです。
しかし、自分の思考こそが、あなたが確かにここにいることの何よりの証拠であり、あなたの存在の揺るぎない土台なのです。
あなたの日常の中で、自分を見失いそうになった時や、自信をなくしてしまった時に、「我思う故に我在り」という言葉を思い出してみてください。
そうすることで、きっとあなたの心は強くなり、自分らしい人生を、自信を持って歩んでいけるはずですよ。